贅沢は素敵だ

残したいものは銀塩で。やり直しが利くものはデジタルで。

  • D100 – あれこれ考えたくない or その必要がない時
  • F80 – 連射が要る時 and 失敗が許されない時
  • F3 – じっくり狙う余裕がある時

うん、普通に考えたらF3は要らんね :hammer:

WTでフライト中は内職したり、それでうんざりしたり時間が半端な時はネットサーフがお約束。
ここしばらくは他人のカメラ関係のブログを読んでることが多いです。今週末に中野へ出たくなったのもその影響・・・なんだろうな、やっぱり。

初めてMFに触った人の奮闘記みたいのがとりわけ楽しいです。むしろそれが当たり前に自分は思ってたようなことで、それまでケータイのカメラしか使ったことないような人がいきなりMF一眼に出くわして右往左往している様なんか、その場に行ってなんとかしてやりたい感情にかられて、どうにもたまらなく面白い。普通は投げ出しちゃうんだろうけど、家族の形見とかで簡単に捨てられなくて頭を抱え込んでしまうとこなどたまりません。AFやコンデジしか知らない世代がその種のクラカメ使って、「電池使わないのにこんなに綺麗な写真が撮れる!」なんてはしゃいでる様なんか、微笑ましいを通り越して最高ですね 😆
そういうの見ちゃうとやっぱりFTはFTで持っておいても良かったかなァとも思うんですが、もともとあれは父から借りてただけだから、そういう後悔は筋違いでせうね。

思い返せば自分がその種のことをやってたのはもう20年も前の話。つくづく時が経つのは速ぇなぁと思うばかり。・・・歳、ですかねぇ。


PCいじりでしょっちゅうHDDを飛ばすこともあって、保存性の面でデジタルデータは全く信用していません。その点フィルムは焼けるとか破けるとか、あるいは「捨てる」という行動を明示的にしない限りほぼ永遠で、何かの巻き添えに一瞬で全部消しちまう心配は無用。少なくとも自分が生きてる間は。

もちろん現像できなくなったら終わりなんだけど、そんなのデジタルだってフォーマット変わったら一緒なわけで。かつてレコードがCDの猛攻で絶滅しかかった時も結局無くならなかったし、銀塩vsデジタルが問題になってるのは35mm判(とAPS)だけで中判とかは関係ないです。
# 中判その他だけで、35mm判で成熟(肥大化)しきった関連企業がもつか?って問題はあるのだが

要するに35mm判以外も含めた大きな意味での銀塩写真の将来はそう悲観したものでもなくて、街のDPE屋が無くなっても即銀塩写真がプリントできなくなるわけではない。多少値段は高くなるかもしれないけど、払える限りは付き合いましょう。 🙂
・・・現像代フィルム1本1万円とかプリント1枚1000円なんてなったらさすがに退き時かな。

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