もはや昭和ではない

限られた社会の中での話なのかもしれないし、そうあって欲しいのだけれど、近頃若いもんと話す機会に恵まれて嬉しい一方愕然としたのが、十年余り経った今でもエヴァンゲリオンの捉えられ方が自分たちがその年代だった頃とあまり変わっていない「ように見える」こと。

大量生産大量消費で流しそうめんの如く新作が繰り出される中、そういう位置付けを保っていられる事は偉大なのかもしれないけれど、裏返せば代わるものがないって現実は果たして良いことなのかなって危惧は拭おうとする端から湧いて止まらないのでした。私個人はあれ(というかその辺のガイ○ックス作品一連)をあまり評価していなくて、その種の偏見が被ってるのは否定しませんから、余計にそう思えるのかもしれませんが。

年寄りじみた物言いで恐縮ですが、我々の上にエヴァが君臨した頃、10年前にはガンダムがあって20年前はヤマトがあった。で、じゃあエヴァの10年後の今何が君臨してるのかなって見た時に、これと言って何もない現実にぞっとする訳です。私の不勉強はもちろんあるし、何か一点集中で盛り上がらなきゃならないって事もないし、反ファッショの観点からも嗜好が分散するのはむしろ好ましい事なのだけど、何か最近のいわゆるブーム的な何かにヤケクソというか一発花火の虚しさが見え隠れして仕方がないのです。
全く余談ですがや○い文明人としてC翼・☆矢以後の路線が拡散してしまって再興の兆しがないのも気になる、ジョジョは同世代かむしろ退行してしまうしNARUTOやONE PIECEもまた違う(むしろDB寄り?)と思われるので。

ここで赤松あたりの勃興を指摘する意見もありますが、極論を承知で敢えて言えばその赤松作品はせいぜい「ラブひな」初期で頭打ちだと思われるし、この種の「MOE文明」はそれこそ大量生産大量消費によって成り立っていて長期間客足を保つ力はないでしょう。

「諸行無常」の通り、右肩上がりの成長が永遠に続くなんてのは幻想に過ぎないってことは我々が身をもって体験してきたことですけれど、アニメの頭打ちがエヴァにあったのかなあと思う事は、いろんな意味で大変寂しい事ではあります。いずれ終焉を見届ける事にもなるのでしょうか。

バブル、電電公社、専売公社、国鉄、NHK、郵便局、長距離列車、etcetc…

1970年代生まれって、ひたすら前に向かって突っ走って来た戦後日本社会の車掌車なのかもしれません。そんな考え方が、ここしばらくずっと頭の中を渦巻いています。

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