「抜かずの剣」参加マニュアル

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1941年〜1945年

 1941年12月8日、帝国海軍が行ったパール・ハーバー奇襲は、後世の戦史家によって「完璧な奇襲」として記憶されることになった。実際には攻撃一時間前に行われる筈だった宣戦布告が、日本側の神経質な、そしてあまりにも無神経だった機密保持処置によって攻撃五分前になってようやくなされたことから、この通説に異を唱える者も多いが、アメリカ側のあまりにも杜撰な対応もあいまって、戦術的には完全なパーフェクト・ゲームを日本は手に入れた。日本全権・海軍大将野村吉三郎は、アメリカ国務省を出るや否や群がってきた新聞記者によって、際どいところで自分が任務を完璧に達成し得たことを知らされた。
 序盤において連戦連勝で気を吐いた日本軍ではあったが、ほどなくしてその「層の薄さ」を思い知ることになったのは衆知の事実である。既にハワイ奇襲の時点で日本の敗北は決定していたとの意見もある。事実、この時に日本軍がパール・ハーバーで無防備にさらされていた無数の重油タンクをまったく無傷のまま放置したことは、太平洋戦を語る上での大きな謎として、常に議論を呼ぶ。アメリカ軍はまさにこの原油によって、その後の戦いを見事に乗り切ったからである。この時にタンクを破壊されていれば、アメリカ軍の反抗は少くとも二年は遅れ、あるいはハワイに日章旗が翻っていた可能性は否定できないとされる。最後には日本の敗北が待っていたとしても。

 日米戦最大の山場は1944年に訪れた。物資、特に燃料の絶望的な欠乏によって極限状態に追い込まれた日本連合艦隊と、十二分に力をためたアメリカ太平洋艦隊は中部太平洋各地で激しくぶつかり合った。そして圧倒的な物量とこれを効率よく運用する術を身につけたアメリカ軍が常に勝ちを収めていた。開戦半年後のミッドウェー海戦で慢心から致命的打撃を被って以来、視野狭窄の度合いを強める一方だった日本軍は、開戦時のアメリカ軍以上の失敗を重ね、更に自らを追い込む悪循環を重ねていたのである。

 日米戦の行方が決したのは1944年11月のレイテ島沖開戦であった。
 折から上陸を開始していたアメリカ陸軍の大部隊に対抗して海軍は持てる戦力の全てを投入し、巧みな囮戦術によって上陸船団が無防備同然となったところへ主力が突入、まだ膨大な物資を載せたままの船団をほぼ全滅させて引き揚げていったのだ。
 この時アメリカ海軍を指揮していたハルゼー大将の猪突猛進は後に激しい批判にさらされるが、反対に日本海軍の損害も少なくなかった。レイテ突入前からアメリカ軍の待ち伏せによって全体の兵力の半分を失い、突入後も主隊こそ目立った反撃を受けなかったとはいえ、その裏では突入艦艇の幾倍にもなる大小の艦艇が、激しい戦闘で失われていたのだ。
 生き残った艦艇の末路も決して華々しいものではなかった。復讐の念に燃えたハルゼー艦隊の追撃、日本近海の制海権をほぼ掌握していたアメリカ潜水艦隊、そして敵味方双方が手当たり次第に敷設していった機雷が、彼女たちを次々と蝕んでいったのである。無事母港に錨を下ろすことができた艦艇で、お世辞にも無傷といえるものはごくわずかでしかなかった。そして無傷のものを含め、日本に生き残り艦艇を戦列に復帰させる余力はもはや残されていなかったのである。
 対するアメリカは、フィリピンで予想をはるかに上回る損害を出したとはいえ、これを補ってなお余りある底力を有していた。誰の目にももはや勝敗は明らかであった。

 しかしながらここで、運命の女神は日本に最後の、そして最大のチャンスを与えた。

 1945年2月12日。ドイツ本土エルベ川流域でついにソビエト軍とその他の連合軍はその戦線を結合することに成功した。しかしこれが新しい戦線の発生になろうとは、その瞬間まで誰も予想しなかったであろう。事件が起こる寸前までこの「会合」は、ベルリン陥落と肩を並べるほど偉大な、枢軸側の崩壊を象徴するイベントになるものと信じられていた。

 時として、まったく偶然の石つぶてが、世界史上の大事件へと広がることがある。その時がまさにそうだった。戦闘神経症に侵されていたアメリカ軍の機銃手が、英語とは違う言語を話すロシア兵をドイツ兵と思い込み、前方に人影を認めるや否や、反射的に分隊機関銃の引き金を一杯に引き絞ったのだ。ロシア軍もここでアメリカ軍は実はドイツ軍の偽装であったと判断し、直ちに激しく応戦した。予定よりもかなり早く両軍が接触したのがこの時は災いした。
 事態がここで収まれば不幸な偶発事件でケリが付いたのかもしれない。しかしアメリカ軍を率いるのは強烈な反共主義者のパットン中将であった。彼は事態収拾を図るどころか、第一報を受け取るや否や、泡を食った本国政府が彼を更迭するまでの間に、指揮下の全軍に対してソビエト軍への攻撃強化を指令したのだ。パットンが更迭されたのは彼が最初の対ソ攻撃命令を発してから六時間後のことであったが、それだけ有れば十分だった。ナチズムとさほど変わらない恐怖政治下にあった当時のソビエトにおいて、独断専行は即死を意味する。アメリカ側が攻撃を停止してもなお、ソビエトの銃砲は火を吐き続けた。スターリンはパットン更迭を外交ルートで知って間もなく攻撃停止命令を発したが、連合国で最も劣る通信網が災いして、攻勢は約半月にわたって続いた。

 機銃手は50口径の機銃弾でソビエト兵を切り刻み、同時に米ソの微妙な同盟関係をも引き裂いた。後世この事件に対してはさまざまな形で陰謀説が唱えられたが、当事者の機銃手が引き続いて起こった銃撃戦で戦死しているので、正確な事情を確認することはもはや不可能である。
 ドイツ機甲師団はなお精強を保っていたが、鉄の洪水と炎の奔流に同時に巻き込まれては、なすがままに弄ばれるばかりだった。そして日本はこの事態を利用することに成功した。アメリカ側に全面的に協力する条件を受け入れ、ドイツに半歩のリードをつけて降伏を申し出たのだ。日本海を隔ててソビエトと隣接する日本。アメリカにとってその国力は取るに足らぬほど無力化されていたが、ソビエトに恫喝を与える目的では、その「土地」には大いに魅力があった。戦前の外交交渉と比較すれば極めてスムーズに交渉は成立し、結果として日本は多くのものを失ったが、当初考えられていた本土決戦の惨劇だけは避けることに成功した。

1945年3月10日---

日本が米英に対して降伏した日である。

1946年〜1950年

 戦争は終わったが犠牲は大きかった。降伏直前まで続けられた米軍の爆撃で中小都市に至るまでほぼ完璧に焼き払われた。戦前の「植民地」は台湾を含めて完全に失い、沖縄はアメリカの統治下にある。日本は公式には「連合国各国に対して」降伏することになっていたが、アメリカ側に付くたことを知ったソビエトは報復あるいは制裁として、三月初頭から樺太を手始めに10日以降も千島列島を次々に占領し、今もなお講和条約に調印していない。もちろん占領地は度重なる要求にもかかわらず返還していない。のみならず要塞化を図っていた。それでも東西に分割されたドイツ、中国共産化のとばっちりで南北に分断された朝鮮に比べれば、日本はまだ運がよかったと言わざるをえない。
 日本本土にはアメリカ軍を主体とした連合国による「占領軍」が隅々まで進駐し、日本の「民主化」を強力に推し進めた。当初占領軍指揮官にはアメリカ陸軍元帥マッカーサーが着任する予定であったが、フィリピンでの激戦で重傷を負い、高齢も重なって回復が思わしくなく、代わってアメリカ海軍大将ニミッツが着任した。
 ニミッツの占領政策は戦時中の太平洋艦隊の指揮同様、現実的でかつ徹底していた。陸海軍の武装解除はもとより、戦争指導者の公職追放・軍事裁判を矢継ぎ早に実行し、日本側に尻抜けの隙を与えなかったのである。それはマッカーサーが戦時中に描いていた対日占領計画と大同小異ではあったが、より効果的に進行した、とみるのが通説となっている。
 後の展開から見れば、この五年間は、それ以前に五年も戦争が続けられたにしては、きわめて平和な時期であった。大戦争の後にありがちな全世界規模での疲労も原因の一つではあっただろうが、それにしてはどの国でも国民に活気が見られた。

 破局が訪れたのは五年目の事、それも誰もが予想していなかった地域である。

 朝鮮半島。19世紀以来、常に部外者によって翻弄され続けてきたこの地域は、日本の支配を離れてからほどなくして、政治的に南北に分断された。そして互いに国土の統一を叫びつつ、にらみ合いの状況が続いていたのだ。

 きっかけが何であったかはもはや確認することはできない。確かなのは序盤から南側、つまり自由主義陣営が劣勢だったことである。当時その盟主たる米国は比類無く強力な原子爆弾を保有しており、その威力---政治的な---に絶対の自信を置いていたから、逆にこうした「小規模な」地域紛争への備えは皆無に等しかったのだ。その他の連合軍諸国は戦後の復興に手一杯であったし、それでなくても地球の裏側からでは大してアテにすることはできない。既に中国は共産化しており、国民党政府は台湾に避難している状態だった。
 米国は、早急に極東に有力な「盟友」を確立する必要に迫られた。
 日本再軍備が、その回答であった。そして新生日本軍は、見事にその期待に応えたのである。結果として紛争勃発から四年後、北緯38度線を非武装境界地域とする政治的交渉によって一応の終結を見た「朝鮮戦争」ではあったが、一時期ははるか鴨緑江まで西側連合軍は戦線を押し戻したのだ。「新」日本軍は他の朝鮮派遣群に伍して、唯一の「敗戦国」でありながら、あるいはそれ故に、目覚ましい活躍を遂げていた。地の利を割り引いても、その成果は賞賛するに足るものだった。
 自分で再生した日本軍の実力に、米国は恐怖した。結果取られたのが「州軍制度」の導入である。再生された日本軍は、新たに「自衛隊」として再編縮小され、著しくその能力を制限されることになった。


ゲーム

 本作において、プレイヤーは神奈川県軍の士官として行動する。
 神奈川県は東は東京湾の唯一の入り口、浦賀水道を防衛する位置を占めており、南方には相模灘からはるか太平洋が広がる。
 自身横浜と川崎という二大商工都市を持ち、日本における経済的地位は東京に続いて名古屋・大阪に優るとも劣らない重要さを誇っている。その神奈川県を護るという任務を課せられた神奈川県軍には、同時に首都・東京の防衛任務も課せられており、装備の質・量はもとより、構成員の質も他の県軍を圧倒する。
 県軍の将兵は、基地司令(原則として少将)以上の高級司令官を除き、すべて神奈川県の公務員である。給与及び昇進を含む勤務待遇は神奈川県条例によって規定され、平時は県民の直接選挙によって選出された神奈川県知事の管轄下で行動する。ただし戦時においては自衛隊の指揮下に移行する。

キャラメイク

 以下の基準で作成してください。
 なお、日本国籍を保有していなければ神奈川県公務員にはなることができず、従って県軍の将兵となることもできません。
名前
 特に不自然でなければ何でも構いません。
性別
 男女いずれでも結構です。女性の進出率はこの時代にしては「かなり進んでいる」と考えてもらって結構です。男手は他に回っていて大変なのです。
出身地
 どこでも構いませんが、やはり県内の方がいろいろ有利です。なお、同じ首都を護る位置にいる千葉県とは、かなり仲が悪いようです。
生年月日
 西暦で扱います。設定年齢に特に制限はありません。参考として県の新規採用の最高年齢は26歳、最低年齢は18歳、そして定年は満60歳の誕生日です。また採用後、一年間の訓練期間があります。
 ゲームスタートは1965年4月1日とします。
専門職
 陸海空軍が存在します。
 海軍は県下の港湾、及び水路を管理するのが主任務ですが、外海へも警備のために出ていきます。
 本拠地は横浜にあり、他に小田原に小規模な分遣隊が置かれています。(横須賀は自衛隊が使用)県軍旗艦空母「はこね」(25,000t)の艦長は着任時でおおむね50歳ですが、これが巡視艇「やまゆり」型(40t)艇長となると採用後5年程度で就任できます。
 各艦の乗員数は、様々な理由から正規軍に比べて少人数です。
 防空隊は人数が限られていることもあり、超エリート職です。
 防空戦闘機は自衛隊払い下げのF--86Fセイバー 20 機弱が主力ですが、首都防衛任務を勘案して、米国から数機のF11F-1タイガーも直接購入して配備しています。他にTBM-3S/W対艦哨戒機とHSS-1ヘリコプターが数機ずつ、これらはすべて自衛隊からの払い下げ機です。
 また「はこね」搭載の艦載機も、この防空隊の所属です。こちらはエリート中のエリートしかなれませんが、母艦が小型でもあり、搭載機は戦闘機こそFJ-4Bを専門に搭載していますが、哨戒機は基地のTBM-3S/Wを適宜分遣して搭載、というスタイルを採っています。
 陸軍は平時は災害出動が主でまったく目立ちませんが、三軍で最多兵員数を数え、沿岸地域にまんべんなく配置されています。新年の大学対抗駅伝での先導が唯一の晴れ舞台と言ってもいいでしょう。機動兵力はほとんど皆無です。
 業務の大半は重複することが多く、しばしば県警との縄張り争いが展開されます。
 その他、地上勤務については県庁一般職と同様です。
 プレイヤーはこの中から、厚木の防空隊か横浜の海軍かのどちらかを選択します。(陸軍は選択できません)
 なお、いずれもいきなり「はこね」乗り組みになることはできません。
自由設定
 上記以外の点でキャラクターの特徴について、自由に記して下さい。
 矛盾しない範囲での追加は随時行って結構です。

参加手続き

 以下の方法によります。
郵便による方法
TeX版をご覧下さい。
電子メールによる方法
キャラクターの行動を以下のIDのうち、どれかにお送り下さい。
Nifty--Serve : RXR11300
PC--VAN : SZN33728
Internet : kikuchi@cc.toin.ac.jp
 なお、Niftyが一番頻繁にアクセスしています。当然のことですが、本名及び住所を明示して、本人性を証明して下さい。
 毎月のリプライが電子メールによって送られることは原則としてありません。
 参加料金は無料ですが、できたら郵便代だけでもいただけると助かります。


附記

 この話においては、歴史的な事項に注意し、いわゆる朝鮮半島地域を治める二つの政府及びそれぞれの政府の主権下にある地域を総称する必要が生じた場合、「朝鮮」の呼称を採用する。また表現の煩雑さを避けるため、これら二つを別々に呼称する必要が生じた場合には、「韓国」「北朝鮮」の呼称を採用する。同様の理由からドイツを統治する二つの政府については、それぞれ「西ドイツ」「東ドイツ」と表記する。
 「琉球」についても同様に「沖縄」と呼称する。その他の地域についても、1960年代ということを前提に、極力一般的かつ妥当な呼称を採用する。
 ただし、作中において過去を振り返る場合には、対象となる時期において正確な呼称を極力採用するべく努める。
 この件につき、筆者にいわゆる「民族差別」の意図及び思想、あるいは特定の政治思想は全く関与していないことをご諒承されたい。
 繰り返しになるが、本作はあくまでも架空の世界を扱った仮定であり、筆者自身に民族差別及びこれに類する思想及び意図は全く無い。しかしながら、過去に日本が犯した過ちと、その後の対応について考えることをないがしろにしてはならないことを、読者各位には重ねてご諒承願いたく、その上で、日本が取り得たかもしれないもう一つの戦後史を体験されることを、切に期待して止まない。
筆者


付録

海軍装備

艦種艦名排水量艦型
空母はこね25,000t隼鷹
巡視船さがみ2,400tGearing
巡視船さかわ2,400tGearing
巡視船みうら1,000t新造
巡視船いず1,000t新造
巡視船はやま500t新造
巡視船おおやま500t新造
巡視艇やまゆり型40t新造
消防艇つくい90t新造
測量船きぬがさ型30t新造
その他

艦型解説

はこね
もと米護衛空母「カブ」。その前身は日本空母「隼鷹」である。敗戦後米軍に接収され、そのまま佐世保に係留されていたが、県軍創設にあたり米軍から貸与され、のち返還に切り替えられた。県軍で空母を保有するのは他に東京都と北海道のみ。本船はその中でも最大を誇る。  逐次近代化工事も受けてはいるが、艦型そのものが過小で昨今の高性能機は搭載できなくなっている。各部の老朽化も激しく、代艦の建造がしばしば議論されている。
さがみ級
米駆逐艦「ギアリング」の貸与を受けたもの。ほぼ同型のフレッチャー級、サムナー級などと共に県軍ではもっともポピュラーな艦だが、老朽化は否めず、代替艦の建造各地で始まっている。
みうら級
初の県軍新造船。任務を遠洋の警備救難に限定した結果、商船構造を取り入れるなど、建造費の大幅削減に成功した。他県でも同型船を採用するところが見られるほど成功した船である。
はやま級
みうら級とほぼ同時にデビューした中型の巡視艇。近海を担当してみうら級を補完する。計画段階から消防設備を備えた初の船でもある。
やまゆり型
民間船の高性能化に対処するべく、現在急ピッチで整備が進められている小型の巡視艇。葉山、三崎などの漁港にも配備され、県民に最もなじみの深い船でもある。
つくい
京浜工業地帯の発展に伴い建造された、海上火災専門の艇である。建造が古いはこね、さがみ級、あるいは小型の「きぬがさ」以外は全て消防設備を備えてはいるが、つくいの消火能力はこれら他船の全ての合計とほぼ同等である。
きぬがさ型
主に沿海の水路図作成に従事する。灯台浮標のメンテナンス他、航路保安にまつわるほぼ全ての任務に従事する、地味だが不可欠な存在である。

空軍装備

種別機名機数
戦闘機F-86F セイバー18
戦闘機FJ-4B フューリー10
戦闘機F11F-1 タイガー4
哨戒機TBM-3S/W アベンジャー15
哨戒機HSS-1 エセックス4

航空機解説

F-86F
航空自衛隊初の戦闘機として、その名はつとに有名である。既にその性能は過去のものだか県軍レベルでの運用では手頃で、今なお各地でその勇姿を見ることができる。ただしやはり老朽化は問題視されており、次世代機として神奈川県はF11Fを採用することになった。
FJ-4B
F-86Fの艦上機型。ごく少数の運用であり、セイバーと部品を共用できる本気をはこね艦載機として選択したのはごく自然の成り行きであった。限定されてはいるが対地攻撃能力も持っている。
F11F-1
F-86Fを置き換えるべく配備の始まった新型戦闘機。本家米海軍では小型に過ぎ、同時期に登場したF8Uに主役の座を奪われたが、やはり県軍では手頃なサイズと能力であった。選定には次期はこね艦載機も影響したと云われるが、まだ少数でもあり、実現していない。
TBM-3S/W
第二次大戦で活躍した雷撃機だが、県軍で配備しているのはその対潜攻撃機型。探知機装備機と爆雷装備機が二機一組で行動する。この戦術も性能自体も既に現在の潜水艦にはあまり効果が無く、遠洋での捜索救難が最後の舞台と化している。
HSS-1
近年装備が始まった対潜ヘリコプター。ただし搭載能力に限界があり、TBM-3S/Wを完全に代替するには至っていない。むしろその機動性を活かした洋上救難に威力を発揮している。

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