我が創作人生に一片の悔いなし

「ガールズ&パンツァー」の上映を見てきました。3度も。
映画館へ同じ映画を複数回、それも積極的に見に行くなど、前代未聞の椿事でした。もちろん作品自体が見事に完成された娯楽作品であったことは論を俟ちません。

今を遡る四半世紀ほど前、私は「空技廠」と号してプレイ・バイ・メイル(PBM)の同人ゲームを主宰していました。当時の刊行物はこちらのサイトにアーカイブしてあります。所詮は高校生が当時斯界に流行していた物を見よう見まねでやっていたことですから、謙遜でも何でもなく稚拙の一語に尽きると思います。当時を懐かしむ以上の事は期待していませんし、今新たに通読されるにはとても堪えないことも承知しています。
何にせよ、この先は喩えて言えば、娘が嫁に行った年寄りの戯言みたいなものです。

予め断っておきますが、これから先に書くことは近頃何かと問題にされるような盗用盗作を問うものでなど決してなく、まして原案原作を唱える意図など毛頭ありません。女の子に武器を取らせ戦わせる物語はもっとずっと昔から、幾度も周期的にブームを迎えては消えていったものでした。ガルパンが今映像化され世に問われ得たのも、そうした潮流の中であらゆる資源がより良い形で集まり得た以外の何物でもないでしょう。

ともあれ、四半世紀の昔、私もそうした物語を書いていました。「榛名とはるな」とそのPBM版、「真鶴学園風雲録」です。これらも先に挙げたサイトに公開しています。
あらすじ、あるいは世界設定は次の通りです。

神奈川県西部の真鶴町にある巨大学園「」では必修部活動として「模型部」が設定されていた。生徒たちはそれぞれ陸海空のいずれかに分かれ、団体行動を学び、技を磨き、時には他校との試合にも臨んだ。
真鶴学園で海軍に所属する栗田榛名は親友たちとともに「栗田艦隊」を形成し、戦闘で活躍を繰り広げながら学園の謎に迫る。空軍の妹はるなもまた同様に活躍するうち別の謎に直面し、実の姉妹であっても守らなければならない秘密に葛藤する。

女の子(真鶴は共学)が現代兵器を手に激戦を繰り広げ、それでいて誰も死なない、ここに私は真鶴学園と大洗女子との共通項を見出しました。麻美あたりが戦車道の試合を見たら、「うちにも戦車道部があればなぁ!!(ノ∀`)」と天を仰いだことでしょう。もっとも真鶴の戦車は模型であることを横に置いても、もっと新しい、火力も支援装備も恵まれた時代の戦車ばかりですから、あちらのレギュレーションでやったらろくに弾も当てられないままコテンパンにやられるでしょうけれど。こっちの世界観でやっても、エアカバーも何もない戦車戦だけに限ったらどうなるかわかったもんじゃありません。

言ってしまえば共通点はそこだけです。ガルパンには面倒臭い謎解き要素など全くありませんし、真鶴での戦車戦は書いている当人が今に至るまで陸戦に対してゲームの「大戦略」をやるのに困らない程度以上の興味を持たないこともあって、ほとんど書かれませんでした。

一方、「真鶴学園」には作中で未解決の問題がいくつもありました。
真鶴の世界の模型戦は、特に明示はしませんでしたが、原則として1/72スケールを前提にしていました。人は「縮小機」(ドラえもんのガリバートンネルに着想を得ました)を通ってその中に乗り込むのですが、それでもなお人手不足と戦闘地域の設定には限界がありました。通常考えられる規模の学校では、ベビーブーム時代の所謂マンモス校でも絶対的に生徒数が足りません。試合場、つまり戦闘地域は「縮小機」に類した特別の機器で囲い、この中でのみ行動させることにしましたが、普通に考えて海に出れば波が高すぎ、また潮も速すぎて戦艦大和であれ駆逐艦島風であれ航行もままなりません。これを作中では、人は「本来多人数を要する物は原則2人乗りとし、手が回らない部分は自動操作」とし、気象海象は無視することにしました。
物理法則一つ取っても、戦闘機の高G機動に普通の高校生が耐えられる訳がありません。これは「慣性制御装置」(考え方はスペースオペラによく見られる非回転型の人工重力装置の応用)で緩和されることにしましたが、視覚との矛盾で酷い乗り物酔いを招きかねないのは無視されています。慣性の問題はガルパンでも、あんなにぶつけたり吹っ飛んでたら中の人はミンチになってるところでしょう。
被弾に関しては「ぼくの学校は戦場だった」(楠桂)に範を取って「人を直接狙うことはできない」ことにしていましたが、流れ弾や弾片防御は解決不能でした。陸戦で陣地の奪い合い、要するに市街戦・銃撃戦に入ったらどうなるかも大問題です。小火器は麻酔銃的な表現で解決を試みましたが、火力支援が入ったらもう説明がつきません。もっともこれは大概の戦闘物が抱える問題で、ガルパンでも車内は「特別な装甲」で保護されていることになっていますが、しばしば車外に身を乗り出している矛盾を指摘されてはいます。
撃破されたら白旗が上がるシステムなどほとんどそのままで、ガルパン本編放映中に初めてそのシーンが出た時など文字通り顎が外れそうなほど唖然としたものですが、これにしても白旗を上げた(=撃沈された)ユニットがゾンビ化して動線や射線を阻害する問題と、もっと言えば航空機が白旗を上げても視認は極めて困難である問題は残りました。この点、戦車は撃破しても大体の場合そのまま地上に居座るので大きな問題にはなりません。真鶴では、訓練以外は艦船はそのまま沈み、航空機は撃墜され、人が乗っている部分だけは安全なカプセルとして放出される設定にしましたが、今度はいくら模型と言っても消耗に対する補充の問題が発生します。いくら1/72でもニミッツが撃沈された後の補充なんか、まじめに考えたらあっという間にどんな富豪でも破産一直線でしょう。大量消費、大量生産に伴うスケールメリットとサルベージによるリサイクルで理屈付けはしてありますが、まだ無理があります。戦車道が社会的に認知されていて、修復については連盟や地域が負担するガルパン世界についても、あれだけ派手に街ごと壊してしまっては、作中時折「マイナーな武道」と言われている中、どういう経済形態なのかは興味が尽きません。
コストと言えば移動の問題もあります。真鶴は1/72ですから、手荷物になる場合は問題にならないのですが、長距離移動を伴う場合大型の物は遠征先の物を借用することとしていました。が、借り物でどこまで実力を発揮できるのかについては疑問が付きまといます。
もっと根本的な問題では、「模型部」の社会的な認知度、位置付けが不明確なままでした。銃剣道なるものがあるように、ずっと先の未来では我々の言う現代戦が柔道剣道のような、武道的な物になっているかもしれない(まさに戦車道のように)、という漠然とした前提はありましたが、作中積極的あるいは明示的に触れてはいません。未来のことにしても、戦後70年経ってなおこの国が抱えている戦争アレルギーをどうやって克服したら、こんな武道が成立するのかも、ほとんど触れていません。1945年8月15日があの日であったことは作中で重要な意味を持ちますので、「そもそも戦争アレルギーが無い」設定は成立しないのです。

それでも、書き始めた当初から「サバイバル・ゲーム感覚で現代戦が見たい」という欲求はありましたし、見当たらない以上自分で書くしかないではないか、そうやって始めたのが真鶴学園の世界でした。いずれ同志がその枠組みでいろいろな話を書いてくれれば本望だと。そうこうするうちに、ついに抱えていた問題のほとんど全てを解決して、「真鶴学園」でやりたかったことのあらかたを「戦車道」の形に昇華して見せてくれた制作者各位には、いくら感謝してもしきれません。一人娘の晴れ姿を見る父親の心境とはこういうものかと、まだ嫁も居ない身で深く納得している次第です。思い残すことはもう何もありません。

最後に、日本陸軍機に限っても飛龍や呑龍はじめ同様の機種はいくらもあろうものを、連盟の審判機にわざわざ海軍機の銀河を出してきたのは、我が空技廠がクレジットされたものと勝手に解釈することにして、謝辞に代えさせていただきます。
ありがとうございました。

(12/20追記)
本編の関連記事は以下の通りです。
//tsubame-jnr.bglb.jp/noriho/archives/75358
//tsubame-jnr.bglb.jp/noriho/archives/75363

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